相場の格言で「人の行く裏に道あり花の山」「大衆と逆をいけ」というものがある。実際に聞くと確かにそうだろうな、と思われるかもしれないが、具体的にそれがどういう意味なのか?というのはなかなか分からないものだ。
この記事では大衆と逆を行くスタイルの考え方とはどういうものなのか?人の裏の道というのはどういう意味なのか?というテーマにおいて、テクニカル分析などを例に考えてみようと思う。
そもそも大衆が考えている相場の常識とは一体どういうものがあるのだろうか?逆張りは危ない、損小利大、テクニカル分析に関して言えばトレンドフォローをしろ、などもそうかもしれない。
では相場分析においてどのような常識が非常識なのか?いこう。
大衆と同じ方向を歩くのが人間の本質である
人間は基本的に多数決で物事を判断するものだ。自分が決めた方向性があったとしても、大多数の人間が選択するほうに流されて行くのが大衆の本質だ。
それは自分の方向性に自信がないわけではない。しかし結果が出ているわけでもない、結果が出ていないものに対して自信を持てと言われてもそれは難しいだろう。
自分の方向性に対して、大部分の人が自分と反対方向に進んでいたらあなたはどうするだろうか?自分の方向性に不安を感じやっぱりあっちの方が正しいのかもしれない、と思わないだろうか?
特に自分が目標にしている人間が、自分と反対の方向性を持っていたら尚のこと、自分の方向性が間違っている理由を探してしまう事になる。
自分のやっている事で結果が出ていれば話は違うかもしれない。しかし結果というのは紛れもなく努力や壁を乗り越えたあとにしか存在しないのが成功という結果だ。
なのである程度強い意志を持っていたとしても、目標や尊敬している人物、他の周りの方向性にどうしても流され、最初に持っていた方向性とは全く異なる方向性を信じ、進んで行くこととなるのだ。
そう、自分で判断し探しだした常識ではなく、何かに影響されて常識という枠が自分の中に出来上がる。この常識こそがあなたにとって「勝たせない」理由のひとつになるのだ。
人の行く裏に道あり花の山
人の裏の道を行くというのは、誰にも左右されず自分だけが作り上げた方向性に向かっていった時に初めて掴むことのできる成功の事になる。
資産運用の世界では長期・分散・積立という3つのキーワードが常識となっている。某有名人も堂々とこの優位性を語っているが、正直個人投資家としてある程度の資産を増やそうとするなら、この常識にはまず疑問をもたなければならない。
それが自分にとって正しいのか?間違っているのか?誰かの声ではなく自分自身でその答えを探さなければ意味がないという事だ。
もし某有名人や大多数の大衆が「間違いない」といっていたとしても、自分が出した方向性が違ったのなら自分だけを信じて追求していかなくてはならない。
よく「あの人は信用できない・胡散臭い」などという人がいるが、そもそもそういう意見を言っている以上相場の世界では不向きになる。なぜならその人を信用する必要はどこにもなく、その人が何を言っていようがあなたには何の関係もない。あなたはあなただけを信じ進んでいけば良いだけなのだから。
人の裏を行くという事は、自分が導き出した方向性を誰にも左右されないで追求していく事だ。これはある意味大衆の逆を行くという根本的な行動になる。
では例として先程の長期・分散・積立という常識について少しお話ししよう。
資産運用の王道である常識も非常識となり得る
まず長期投資だ。長期投資というのは投資をまだあまり知らない方には「短期投資よりもリスクが少ない」と思われがちだ。しかし実際には「長期投資ほどリスクの高い投資法はない」と思っている。
株式投資なら配当金や株主優待、FXならスワップ投資や外貨預金、これは入ってくる期待値よりも圧倒的に株価や為替変動による損失値のほうが高く、利益が1に対してリスクは99とらないといけないものだ。
分散投資にしてもどうだろうか?確かに理屈では分散という方法はアリなようにも聞こえる。しかしそんなに多くの銘柄を判断し投資できるだけの手腕の持ち主だろうか?
中には多くの銘柄を監視し、利益を上げている凄腕のトレーダーもいる。しかしそれには圧倒的な経験と実績があって成せるものであって、そういうトレーダーはほとんどが短期目線のトレーダーだ。
投資の初心者が分散投資なんてやっていたら損切りの嵐か塩漬けの嵐に見舞われ、ひとつの銘柄をコツコツと監視している人よりも圧倒的に早く資金を溶かしてしまう確率が非常に高い。
投資は確率で利益を得るものだ。優位性が低いものをあえてやる必要性はどこにもない。
さらにいうなら積立という考え方だ。投資で資産を増やそうとするなら十中八九、複利で増やすしかない。しかし複利といっても年利数%のような利益では現実問題として最低数百万以上の資金で、毎年コンスタントに勝てる補償でもない限り資産は増えていかないだろう。
なぜなら年利で稼ぐという事は長期投資をするわけであって、年利数%を複利で増やす間に、そもそもの投資商品に対してそれ以上の損失が出る確率は爆発的に高い。
そもそも長期投資でコンスタントに毎年数%の利益が出せるという根拠はどこにもなく、全くもってナンセンスな常識だ。
テクニカル分析はみんなが意識しているものを使わないと意味がない?
テクニカル分析などはそもそも勝てない常識が1番多く出回っているものではないかと思う。テクニカル分析はみんなが意識しているものを使わないと意味がないという言葉を聞いた事はないだろうか?
そもそもなぜ意味がないのか?みんなが意識しているかしてないか問題なのは、その手法がどういう手法なのか?というものでも変わってくるだろう。
価格の節目を利用して水平線などを分析手法として使うのであれば、ある程度意識されているラインを引く事が重要になってくる。では移動平均線はどうだろうか?
よくあるのが20日移動平均線はみんなに意識されているから使いやすいとか、200日移動平均線は意識されているから使いやすいとかそういうものだ。
正直みんなが意識しているかどうとかいうのは、そのトレーダーが使っている分析手法や使っている時間足などによっても全く違う。例えば5分足をメインにトレードしていたとしても、週足や日足などの20MAを表示させて分析に取り入れているものと、5分足に20MAを素直に表示させているのとでは分析手法に違いがある。
短期の時間軸に20MAを表示させていたからといって、それが効くとか効かないとかそういう問題ではないし、みんなが意識しているものは逆にはめられて大きく負け越す原因になるだろう。
言い方は悪いかもしれないが、簡単にいうと「カモ」として資金を吸い取られるだけのものとなってしまう。
みんなが意識している場所だからこそ、その場所は狙われる場所なのだ。つまり、移動平均線で何を表示させようが、トレーダーのサジ加減であり手法によって何が良いというものはないという事だ。
もちろんブレイクアウトやフォーメーションに関してもそうだ。教科書通りの常識はもちろん基本として最初は知る事となるが、それは最初だけであり、あとは自分がテクニカル分析をどう生かしてどういう手法をとっていくのか?それは周りからすれば非常識というやり方であったとしても、最終的に勝てれば全てが正解となる。
最終的には非常識を受け入れ自分の常識として落とし込む
結局のところ相場で成果をあげるなら、とことんまで自分の世界に自分自身を閉じ込めてしまわなければならない。
SNSなんかで勝っているトレーダーを見ても、何も気にしてはならない。それはあなたではなく他人であり、その人と同じトレードはまずできない。これはあなたが優れていないと言っているわけではない。
トレードは100人いれば100通りのトレードスタイルがある。おそらくはその人が勝っている情報を見ても、なんの利益にもならないだろう。
よくネットなどで投資について発信している方に「リアルタイムでトレードを見ていないから信用できない」「トレードの履歴を見せないと信用できない」などと言っている方がいるが、そもそもなぜ知りたいのか?と聞きたい。
それを知ったら勝てるようになるとでも思っているのだろうか?信用しないならスルーして見なければ良いだけの話だ。そうやっている暇があるのなら、現在動いているチャートでも眺めておいた方がよっぽど有意義ではないだろうか?
勝っているトレーダーから盗むところは、どれだけ勝っているか?とかそういう話ではない。「信用できるからあなたの分析手法をやってみます」では冒頭でお話ししたように、大衆と同じ方向を向いている勝てないトレーダーから脱出できない。
ではなにを盗むのか?それは今自分に足りていないトレードに対しての非常識さなのだ。今までの常識を覆すだけの言葉でありスタイルなのだ。
まとめ
常識とは簡単なものではない。普段生活しているだけでもありとあらゆる場所に常識を埋め込むものが取り巻いている。
それをひとつひとつ向き合って検証していく事もできない。常識とは常に変化していくものであり、あまり信用できるものではないということを覚えておこう。
そして自分自身を分析するという「自己心理分析」はトレーダーにとって必ず必要なものだが、意外にここに触れている情報はなぜか少ない。
おそらく常識はあなたの助けにはなってはくれない。世の中の流れを見ても一目瞭然だ。正義が勝つことよりも悪が勝つことの方が圧倒的に多い。
もちろんそれは良くない事だ。しかし、大きな権力の前では自分の保身のために大きな流れに身を任せたくなるのが人間だ。悪が権力を握り、あたかも自分が正しいかのように善人ぶって平気で弱者を食い物にする。まるでグローバリズムの典型だ。
最後まで正義を貫いたものは、多くのものに裏切られ、悪の根源と比喩される。
相場だけではない、常識やまわりの情報を、ろくに本質を知ろうともせずに受け入れてしまうのは非常に悲しい事だ。